1989年3月月28日、広島県三次市の三次中央病院で産声を上げる.
父親は消防士,母親は保育士,看護師の妹と4人家族.広島県三次(みよし)市は,中国地方のほぼ中央に位置している盆地です.特産品は,三次ピオーネ,三次ワイン,鮎,ワニ(鮫),カープソースなど.野球はもちろん,広島カープファン.実家はMAZDAのテストコースが望める山の上.冬は雪がたくさん降り,小学生の頃は,膝まで雪に埋もれながら通学していました.
自然に囲まれた環境で育ち,海,山,川で遊ぶのが大好きで,学校帰りはいつも泥だらけ.この頃から父親に釣りを教わり,中学で部活を始めるまでは,バスフィッシングに熱中.おそらく母親の意向で,たくさん習い事を経験.くもん,エレクトーン,習字,英語…結局続いたのは,くもんの数学のみ.小6で中3の内容まで達成!釣りを教えたい父親,勉強させたい母親,今となってはいいバランスだった?と感じます.
母親からはいつも「人のために行動しなさい,人に感謝して過ごしなさい」と教えられました.おかげさまで,責任感の強い仕事を選んでいる気がします.愛情を感じる反面,心配性で少し厳しかったせいか,親の言うことに反発したい気持ちが強い思春期を過ごしました.感情を素直に言葉にできないのは,この頃からだったみたいです.
中学校からバスケットボールを開始.同級生の入部理由は,「スラムダンクに憧れて」.私はスラムダンクを読んだことがなく,部活を初めて必死で読みました(笑).入部してから約3ヶ月,まともにボールを触らせてくれないほど,厳しい練習の毎日.バッシュは絶対アシックス(今はナイキ派).先輩や後輩,練習環境に恵まれ,高校卒業まで毎年地区の選抜メンバーに選出.高校バスケでは,引退するまで炭酸飲料禁止という謎のルール.バスケットボールの毎日で,勉強は学校ではなく塾で頑張っていました.中学から6年間も塾に通わせてくれた両親には感謝です.
高校時代の怪我がきっかけで,リハビリの仕事に興味を持ち,県立広島大学に入学(広島県三原市).男女比が約3:7という世界で4年間を過ごしました.バスケットボールも継続でき,広島県学生リーグにも毎年出場.ホームセンター「DAIKI」でバイトをする(先輩に勧められて始めたマクドナルドのバイトは1ヶ月で辞めました).園芸用の土の運搬で筋トレ,お客さんに工具の使い方を習うという良い経験.しんどいと言われていた病院実習は,指導者に恵まれ楽しめました.最後の病院実習が香川大学医学部附属病院で,その時の指導者である山田英司教授に声をかけていただき,恩師の田中聡教授の推薦もあり卒業後,香川県へ行くことを決意.
2011年4月に就職.この前月は,東日本大震災が起こった時でしたが,ちょうどバスケ部のメンバーで東京へ卒業旅行中でした.当時流行っていた,メイド喫茶を体験しに行った時に,まさかの地震発生.交通機関はストップ,宿泊先には入れず,新幹線の通路に無理矢理乗って広島まで帰るという大変な旅でした.
全診療科に対応する力が必要である大学病院での勤務は勉強の毎日でした.平日は大学病院,土曜日はデイサービスとスポーツクリニックのバイトで多くの経験ができました.バスケも継続することができ,医学部のサークルへ参加,社会人リーグにも出場していました.
専門は集中治療領域.病院で一番重症な患者さんが集まる部屋、そして医者と同等の知識が求められる環境でのリハビリはやりがいがありました.生きるか、死ぬかの瀬戸際を彷徨った患者さんが歩いて帰られる習慣は本当に感動します。
また,研究機関であったため,多くの学会で研究発表する経験もできました.人生が変わる瞬間に立ち会えることに本当にやりがいを感じていました.大学病院での経験があったからこそ,“今の自分の考えと想い”があります.前職の環境,経験,出会いに感謝しています.
当時、担当していた患者さん(プロの漫画家)に書いていただいた似顔絵です
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