「転職するのもありかなー」なんて呟いている時期がありました。
結婚して、子ども産まれるって分かった時に、漠然とした不安に襲われたんですよ。
時間と収入のバランスがめちゃくちゃになりそう、って。
平日は大学病院、土曜は外勤、休みは日曜だけ。その唯一の休みは、釣りや学会、研修会で埋まってしまう。
子どもと過ごす時間はどこにあるんだろうか?
外勤なんていつまで続くか変わらないから、収入下がると怖いよなーなんて思ってたんです。
医療職はいい意味で、専門の知識に特化してるんで世の中の経済の仕組みとか、お金の制度とかってちょっと弱いと思うんです。
個人的な興味で、ファイナンシャルプランナーの資格をとって見たんですよ。将来、得することあるかも、知らないと損すること多いかもって。
そんな時に、仕事も面白そうだし、なんかできそうってぼそっと友達に言ってんです。(昔から数字に強かった、それだけです)
そしたら、ある日外資の保険会社の営業の人を紹介するって連絡がありました。
あー保険屋か。保険は興味ないけど、営業は興味あるから聞いてみるか。
こんな軽い気持ちで会いに行きました。
これが事の発端です。
保険の営業なんてしたくなかったけど、支社長とかいう偉い人?の話を聞いたり、他の会社に話聞きに行ったりとしていると、自分の経験がすごく活かせる分野じゃないかと思い始めました。
理学療法士として大学病院で小児から高齢者に関わり、多種多様な病気や障害、死を迎える瞬間に立ち会ってきました。患者さんを通していろんな家族の形に触れることができ、いろんな人生経験を聞かせてもらいました。
私は、リハビリの担当だったので、1人の患者さんと過ごす時間が主治医や担当Nsよりも長いんです。プライベートな会話しかしません。病院という環境ですから、どうしても不安の訴えが多い。
社会復帰を見届ける仕事であり、やりがいがありました。しかし、患者さんが時折訴える「家族が心配」、「子どもはまだ学生だから、収入が減ると困る」、「早く帰らないと、家族の介護をしてやれない」、「これ以上仕事は休めない」、「こんな状況では仕事に復帰できない」、「退職して今から老後を楽しむ予定だったのに」、「子どもの結婚、孫の顔が見たかった」などの言葉は印象的でした。死を迎える瞬間にも何度も立ち会いましたよ。
病気や事故、死の訪れは、年齢関係なくいつ起こるかわからないことを日々感じていました。
こういった状況では、自分の気力や家族の支えといった精神的な安定が最も重要ですが、ここに経済的問題が生じると大きな不安に襲われ、精神的な安定は得られません。
そして、この問題は、理学療法士が解決するなんで、無理なんです。
経済的な余裕があれば、家族の時間的余裕、精神的な余裕、さらに治療の選択肢が増え、残された時間が限られたものであれば有意義に過ごすことができます。
しかし、これにはどうしても事前の準備が必要なんです。
この「準備」に生命保険は一つの手段として有効であると考え始めました。
もしもの時に、なんてよく聞くけど、そのもしもの時の状況を自分は全てわかっている、経験している。
精神的、肉体的、経済的なしんどさ、家族の想い。
厳しい状況だからこそ、家族を大切にできる余裕を持って欲しいなって思うのです。
お金と時間に心配はない!かかってこい、病魔! って立ち向かえたら素敵じゃないですか?
ほんとにほんとに理想ですが。
あと、研究もしていたのでこんなことも考えました。
医学の世界は、多くの患者さんのデータ(経験)を集計・分析して、科学的な根拠をもとに標準的な治療の決定、病気や症状の原因・因果関係が明らかになっているんです。
多くの研究結果をもとに、有意な治療や経過が明らかになっていますが、統計学的な分析結果であるため多くの場合95~99%の人にしか当てはまりません!
言い換えれば、1~5%の人には一般的な予後は当てはまらないということなんです。
私はこの1~5%の人にこそ、自分の経験と想いを伝える価値があるんじゃないかと思いました。
何事もなく過ぎる1日は本当に幸せなことです。
困難を経験することがあっても、何事もなく過ぎる人生であっても、あの時小林に出会っていてよかったと思われる存在でありたいと思って、保険業界に飛び込みました。
医療業界出身の保険営業
これはかなりの強みであり、私の特殊能力だったことをこの時は想像もできませんでしたが。
結局、最大の決め手は、最初に声をかけてくれた所長と一緒に働きたい!って思ったところなんですけどね。
「小林さんが幸せになるためなら、なんでも努力します。一度、信じてみてください」って。こんなこと言う人、滅多にいないですよね?笑
でも、一緒に働いてみるとほんとだったんですよ。ほんとに、こんな人いたんですよ。
人生を変えていただき、ありがとうございます(^ ^)
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